妊娠後期の死に至る病・・・腸閉塞からの切迫早産。【体験ブログ】
私は元々便秘症で、18歳の時からセンナ茶を飲んでいました。
しかし、センナ茶は腸が黒くなってしまうということ、流産に繋がる危険性があるということで妊活ぐらいの時期から「ピコスルファート製剤(メジャーなのはラキソベロン)」の服用に切り替えました。
下剤なしにお通じがあったことはかれこれ15年近くなかったので、妊娠中は飲みたくなかったですが仕方なく飲んでいました。
それでも、お腹が大きくなってくると腸が圧迫され、便秘はさらにひどくなります。
しかしなんとなく「薬はやだなぁ」と思い、下剤は控えめに使っていました。
妊娠中は、とにかく食欲が増しました。
そして「2人分だもの、しょうがないよね♪」と自分に言い訳をして食べ続け、1か月に3キロ増えて看護師さんに怒られたりしていました。
ある日も、会社から帰ってラーメンをたっぷり食べ、食後に母お手製の牛乳寒天を山盛り食べました。
少し、お腹が苦しいなぁ、ガスがたまっているなぁ、と思いながら寝ました。
そして夜中の3時に、お腹が痛くて目が覚めました。
しかし、よくなるガス溜まりでの腹痛と思い、そのうち治るだろう、としばらく耐えていました。
しかし朝になっても治らず、動けないほどの痛みだったのでとりあえず会社には欠勤の連絡をしました。
うーんうーん、とうめきながら、しかし痛みはどんどん激しくなるので、「もしや、これは陣痛だったらどうしよう」と思い始めました。
陣痛は体験したことがなく、どのようなものかわからなかったので、万が一それが陣痛だったなら、当時まだ妊娠7か月だったので一大事になります。
そんな小さく生まれてしまったら、臓器も未熟で、障がいが残る可能性もあります。
私は動けないながらも、なんとか病院に行くことにしました。不定期でしたが、周期的に刺されるような痛さがありました。
かかりつけの病院で早産の兆候を見てもらいました。
すると、子宮口も硬いし頸管長も十分にある。
早産の兆候は全くなく、おそらく「胃がけいれん」しているのでしょう、と言われ、胃の痛みを取る点滴を打たれました。
しかしちっとも痛みはひきません。「先生、全然痛みが治まらないんですが」というと、「おかしいなぁ、そのうち効いてくると思うんだけど、よく効く薬だから」と言われました。
そして帰宅しましたが、いっこうに痛みは治まらず、ついに嘔吐しました。
父が、「それは腸閉塞なのではないか」と言ったので、苦しみながらスマホで腸閉塞をひたすら調べました。
するとどうも症状が一致しているようでした。
腸閉塞はレントゲンを撮らないとわからないので、大病院に搬送されることになりました。
その頃には診療時間も終わっており、私もとても動ける状態ではなかったので救急車で搬送されました
そして下された診断は「腸閉塞」。やっぱり・・・という感じでした。
腸閉塞は「イレウスチューブ」という、腸内のガスをとる管を鼻から腸まで入れるのですが、これが筆舌に尽くしがたい拷問で、私は途中で断念しました。
仕方なく、保存的療法(絶飲食)で様子をみることになったのですが、あまりの苦しみに、翌日CTを撮ることになりました。
それまで、赤ちゃんのために…と思い、受動喫煙など赤ちゃんに悪いことはとことん避けて気を付けて生活してきたのに、まさかの放射線被ばくです。
私は自分の不摂生を呪いました。
そして診断は、「絞扼性イレウス」。
最近だと、オダギリジョーさんの息子さんが亡くなってしまった病気です。
腸が絞扼(ねじれる)し、血流がいかなくなり放置しておけば腸が壊死して死亡します。
そして、緊急手術になりました。
放射線被ばくに加えて、全身麻酔、開腹手術・・・赤ちゃんごめんなさい。
なんてつらい環境にさらしてしまうことになるのか。
お腹の痛みより、そのことがつらくて泣きました。全身麻酔から目が覚め、「赤ちゃんは大丈夫ですか・・大丈夫ですか・・・」と私は朦朧としながら聞きました。
「赤ちゃんは無事ですよ。」看護師さんがそう教えてくれました。
その後も、腸が回復するまで10日近く絶食することとなり、私は妊娠中にもかかわらず、その10日で体重が4キロも減ってしまいました。
お腹は20センチほど切られ、寝返りもできないほどの痛みが続きました。
そして、開腹手術の影響で、かつて充分にあった頸管長は半分ほどになってしまい、切迫早産にもなりました。
私の、つわりさえなかった平和なマタニティライフは、一気に暗転してしまいました。