代理母出産の賛成派の意見。
日本ではまだまだ浸透していない代理母出産。
日本では反対派の意見が強く、日本産科婦人科学会が制度として認めていないのです。
しかし、世界ではかなり認知されています。
そんな、代理母出産の賛成派の意見を見てみましょう。
「借り腹」が想定外である事が問題となっています。
代理母出産には、体外受精で作った夫婦の受精卵を別の女性の子宮で育てる「借り腹」と、卵子も第三者から提供してもらう「代理母」の二通りがあります。
このうち、「借り腹」自体は法で禁止していない(と言うか想定の範囲外)ので、この場合の法の是非とは借り腹による代理出産を実子として認めるか否かであり、その基となっている「借り腹」が想定外である事が問題となっています。
しかし、人に迷惑をかけない限り、誰もが幸せになる権利がある、と考えると、「借り腹」の何がいけないのかが分からないというのが賛成派の意見であります。
また、代理母出産の是非を議論すると言うことは、医学が発達した現代における倫理観のあり方を議論する訳で、そこに過去もしくは過去から続く倫理観を持ち出すのは、法の是非をその法を根拠に論ずるようなもので自己言及の論理矛盾だとする意見もあります。
さらに代理出産反対の理由についての反論も賛成派はしています。
まずは、「女性の体を出産の道具にしてよいのか?」というものです。
これに対しては、配偶子の提供者には移植されるまでの間、拒否権があると思われ、代理母には妊娠中から引渡し完了までの間、全ての決定権があり、結果の如何に関わらず報酬を要求する権利があると思われます。
依頼者の権利は引渡し完了直後から永続的に発動すると思われます。
妊娠出産に伴う女性の心境の変化は、予め考慮されて契約に盛り込まれるべきで、「新たな命の誕生に貢献」したことに対して評価されなければなりません。
具体的に言うと、例え引渡しを拒否されても、報酬を支払わなければならないということです。
そうでなければ、子供に値段をつけたことになり「人身売買に等しい」からです。
依頼者には、それだけの覚悟が必要だと考えます。
このような状況下で行われる代理母出産であれば、代理母出産が女性の体を道具にした行為とは限らないと思うというのが賛成派の意見です。
次に、「妊娠出産の危険を他人に負わせてよいのか?」という問題です。
これに対しては、確かに妊娠出産に危険が伴う場合もありますが、それは個人的な資質によるものか或いは、環境に左右されたものが殆どです。
そのため、基本的には自然の営みの一環としてクリアされるものです。
ましてや、体格の良い出産経験の豊富な女性に、しっかりとした医療体制を整えて行うのであれば、ほぼ安全と考えて良いと思います。
まさか栄養失調の初産の女性を、代理母に選ぶとは思えません。
危険の伴う行為を、対価を支払い代行して貰うことは、我々が日常で頻繁に行っているものであり、荷物の宅配などは、もっとも身近な例で、高圧線のメンテナンスや、高層ビルの建設等、さらに危険なものもあります。
そのため、妊娠出産が他に比べて殊更危険な行為だとは思えないというのが賛成派の意見です。
その他、「人身売買に等しい」、「金銭の授受に関わらず、児童を取引の対象としてはならない」という反対派の意見があります。
これに対しては、どのような契約内容であるかで決まります。
例えば、稲刈りを手伝った賃金は、稲の作不作に関わらず、その労力に対して支払われますので、結果の成否、子供の引渡しの有無に関わらず報酬が約束されるならば売買とはならないと考えます。
児童を取引の対象とするのは養子縁組も同じであり、養子縁組に金銭の授受が伴っていないとは限りません。
それにも関わらず認められているのは「昔からあった」というだけです。
嫡出子として籍にはいるからいいのだとすれば、それは代理母出産でも同じことであり、むしろ代理母出産の場合の方が「愛情を持って迎え入れる」ことが保証されているようなものです。
養子縁組が認められるならば、代理出産も認められてしかるべきです。
要するに「今の法律では処理出来ない」というだけのことだというのが、賛成派の意見です。
代理母出産には、確かに問題点も多いですが、このように賛成派による反論の意見もあります。
もし、代理母出産をお考えであれば、反対派、賛成派の両方の意見を聞くようにし、それぞれをよく理解した上で、代理母出産を実施するかどうかを決めるようにしたほうが良いと思います。