私が胎児ドックを受けようと思ったわけ【体験ブログ】

貴方は胎児ドック肯定派?否定派ですか?
私は32歳で妊活を開始し、高齢出産に当てはまる年齢にて妊娠・出産しました。
高齢出産・・・なのでリスクを承知の上で産もうと決意しましたが、生まれてくる子供の為、胎児ドックを受けました。
インターネットで、「胎児ドック」または「出生前診断」を受けようか悩んでいる方の相談スレッドを見ていると、つくレスには大きく以下のパターンがあると感じました。
1.肯定派。
自分も受けました、受けて安心して出産に臨めました。というパターン。
2.否定派。
命の選別をするなんて信じられない。
自分(または知人)の子どもは障がいを持って生まれてきたが、この世に生を受けるべき存在と信じてやみません。というパターン。
3.否定派その2。
出生前に診断をしてわかる病気なんて一握り。
生まれてからわかる病気のほうがずっと多い。というパターン。
インターネットで、胎児ドックまたは出生前診断を受けようか悩んでいる人が求めていることというのは、「検査はどのようなもの(内容・費用・痛み・リスクなど)なのか?」という情報と、そして、「背中を押してほしい」ことだと思うのです。2や3の回答も最もなご意見です。
でも、悩んでいる人はそんなこと百も承知ですし、そんな意見は求めていないのです。
では、私はなぜ胎児ドックを受けようと思ったのか。
それは私の「親になる覚悟の低さ」それに尽きるのかもしれません。
親になる前と、なった後では、子どもに対する意識は全く変わります。
幸い、1歳になる子どもは今のところ、風邪一つかかったことがなく、病気もせず目立った障がいもありませんが、もしこれから大きな病気が見つかったら?私は200%、「全てを受け入れる」と答えることができます。
しかし、それは生まれてきたわが子と過ごす中で培われた愛情ゆえの感情です。
それがない段階で、
「大きな障がいを持った赤ちゃんを受け入れられるか?育児の苦労、好奇の目に耐えられるか?」
と問われれば、子どもを持つ前の私の答えは「NO」でした。
生まれてきた子どもを育てていれば、「理屈抜き」に愛おしい存在になります。
先日病院に子どもの予防接種に行ったところ、ダウン症の赤ちゃんとそのお母さんがいらっしゃいました。
お母さんが赤ちゃんにそそぐ眼差しは愛情に満ち、幸せに満ちたものでした。心から、赤ちゃんを可愛い、愛しいと思い、障がいのない赤ちゃんと明らかに容貌が違うことを少しも恥じていない様子でした。
とても身体が小さく、「3か月くらいかな?」と思ってみていましたが、他に話しかけられたお母さんに「1歳なんです」と答えているのが耳に入りました。
聞いたお母さんが抱っこしていた赤ちゃんは11か月だそうですが、大きさは全然違っていました。
しかし、ダウン症の赤ちゃんのお母さんは、常に堂々としていました。
「理屈」で考えると、ダウン症の子どもを授かっても、自分が先に死んだら誰が面倒を見るのか。
生まれてくることは、その子にとって幸せではないのではないか。
そういう発想になります。でもそのお母さんの頭は、ダウン症の赤ちゃんに対する深い愛情と、そして覚悟から、こうした理屈はなくなっているのだろうな、と感じました。
子どもを産む前の私には、そうした感情はなかったのです。
だから、私は「大きな障害を持った赤ちゃんを育てる覚悟はない。障がいがわかれば、赤ちゃんはあきらめる。胎児ドックを受けて、障がいを調べる」という決断にいたったのです。