38歳で双子を帝王切開で出産しました。【体験ブログ】
こどもを産むって体力勝負だと思い知らされました。
38歳で双子を産みました。
1人目の出産から、5年経っていましたが妊娠がわかった時も、2回目だし大丈夫でしょう。
と高を括っていました。
しかし、今回の出産でこどもを産むって体力勝負だと思い知らされました。
37歳で妊娠していることがわかり、やはり1人目の妊娠の時とは、明らかに違う感じでした。
妊娠初期にして、お腹の重みを感じていました。
私の場合双子の妊娠でしたので特にそう感じていたのかもしれませんが、1人目の時は、つわりがまったくなかった私、今回は、食べ物が食べれませんでした。
そして、妊娠中ずっとあった重苦しい感じ、妊娠中を楽しむこともあまり出来ず、無事に産む事だけを考えて耐える日々でした。
長男を出産したのは5年前で、33歳の時です。
当時私は、物流会社に勤めていて、重い荷物も男性に混じって運んでいましたので、体力も随分ありました。
その甲斐あって、長男は3800gと、とても元気に産まれてくれました。
そして5年の歳月が流れ、私は37歳で、当時と状況は変わっていました。
仕事は、ほとんどデスクワーク中心で体力を使う事はありません。
そんな状態での今回の妊娠は、私の身体とお腹の赤ちゃん達に容赦なく難題を突き付けてきたのです。
妊娠3ヶ月の時産婦人科医から、「胎児の体重が増えていない。」と言われたのです。
単純に栄養が足りていないのかと思い、沢山食べるようにし、会社も退職して無事に産む事に専念しましたが、やはり赤ちゃんは小さめでした。
医師からは「あまり動かないように。」と言われました。
長男の妊娠中は、ほとんど何の問題もなくマタニティスイミングや、旅行等を楽しんでいた私にとって、家でじっとしている事は、辛い事でした。
この時、初めて高齢出産の大変さを実感したのです。
妊娠32週の健診で、明日から入院して下さい。
という医師の指示で、予定日2ヶ月前から管理入院する事になり、また、病室のベッドでほとんど過ごす辛い日々が始まりました。
無事出産出来るのかという不安や、家族の事等、病院にいると気分が滅入り、入院して、2.3日は夜眠る事が出来ませんでした。
涙が溢れ止まらなかった夜もあります。
不安を抱えながら、入院して2週間が過ぎ、私も38歳の誕生日を迎え、夫が花束とケーキと、新しい妊婦服を買って病室に来てくれました。
ささやかなバースデーパーティーをしたその夜、私の身体は急変したのです。
破水です。
日中、看護師から「赤ちゃんは34週に入っていたので、大丈夫です。」と言われたばかりでした。
直ぐに処置室へ車イスで移動して、ベッドに寝かされました。
そして、入院していた病院では現在新生児様のベッドがない事を知らされ、救急車で別の病院へ搬送される事になったのです。
私は、移動中も涙が止まりませんでした。
赤ちゃんは?!無事?!不安の中搬送先病院に到着しました。担当医師が「赤ちゃんは、大丈夫です。よく頑張りました。」と言ってくれました。
今でもその医師の温かい言葉は忘れません。
夫がタクシーで駆けつけくれました。
そして、担当医からこれから帝王切開で赤ちゃんを取り出す事を告げられ、少しして手術が始まりました。
それから、20分程して、泣き声は小さいにしろ、かわいい赤ちゃんが産まれたのです。
涙が溢れて止まりませんでした。
無事うまれた!産まれてくれた!よかった!よかった。病室に戻り、夫とよかった!と言いあい、その日は休みました。
次の日、お腹の帝王切開の傷が想像以上に痛み、痛み止めの薬を飲まないと、動く事も出来ませんでした。
出産2日目の朝、痛み止めを飲み、夫に車イスを押してもらい、赤ちゃんがいるNICUへ向かいました。
初めて見る我が子はとても小さくかわいい赤ちゃんでした。
そして、医師から赤ちゃんは、標準体重になるまで約1ヶ月間の入院が必要な事と、その間私が母乳を母乳パックに入れ持って来るようにと指示されました。
それから1週間で私だけ退院しました。
出産し、お腹の傷もまだ痛み母乳も出るのに赤ちゃんが側にいない事は、辛い事でした。
私は、3時間おきに張ってくる母乳を搾乳し、冷凍保存して3日に1度は病院へ行き届けました。
そして、1ヶ月後にやっと待ちに待った赤ちゃんとの生活がスタートしたのです。
こどもが産まれ、育つって偶然ではなく、母体や周りの人達の努力や、頑張りの結晶なんだなぁって思います。